2005-03-27 |    ( ´・∀・`)  あ  ほ  ま  っ  し  ぐ  ら     

2005-03-27

私の彼は2年前の冬に亡くなりました。交通事故でした。
彼は、休みの日に買い物に行こうとしてたらしいのですが、
その帰りに事故に遭いました。全て、警察官の方や関係者
の方から聞いた話です。 

彼は買い物帰りで車を運転していたところ、反対車線側から
幼児園児の女の子が飛び出してきたそうです、反対車線からは
トラックが走ってきたそうです、トラックは何とかよけようとして彼が
走っていた、車線にはみ出してきました。トラックは女の子を避けた
のですが、接触してしまいました。そして、彼の車にトラックは激突
しました。腹が立つのは、トラックはそのまま逃走してしまったことです。
彼は、最後の力を振り絞り接触した女の子を自分の車に乗せ、病院に
向かったそうです。(向かったと思われる)しかし、途中で意識を失ってしまいました。
そこを通りかかった方が救急車を呼んでくれて病院に搬送されました。 

 彼は、重体で口が聞けない状態でした。警察の方は、比較的怪我の軽かった女の子
から事情を聞いて、事の真意を知ったそうです。彼は、何とか意識を取り戻し、少しだけ
しゃべれるようになりました。しかし、延命の可能性は無いと知らされました。彼には家族
がいないので、私が最後を看取ることになりました。集中治療室に入ると、彼は変わり果てた
姿でベットに横たわっていました。頭には包帯を巻かれ、口と左側の顔だけが見えるだけでした。
後から知ったのですが、直接の死因は内臓破裂と出血多量とのことでした。 
 私は、何を話していいのか分らず彼にしがみついて泣きじゃくるだけでした。彼は、血と埃に
まみれた手を私の背中に回してきて、かすれた声で「悪かったな・・・。ごめんね。」と、私に
言ってくれました。「女の子ね、無事だったよ。○○が助けたんだよ、○○が助けたから生きてるんだよ」と、言うと彼は精一杯の笑顔を作り「あぁ、よかった・・・。よかった、ほんとうに良かった」と涙を
流しました。彼は段々と目を細めていきました。最後の時が来たようでした。「俺は、いいから、お前
は元気に暮らすんだよ・・・。ありがとな。ありがと、ありがと、ありがと」と何度もありがとう、と呟きながら絶命しました。顔はとても穏やかで、私を見たときに見せる笑顔そのままでした。 

私がこの事実を知ったのは病院に駆けつけてから7時間後のことでした。その時点ではまだ
トラックの運転手は逮捕されていませんでしたが、彼が亡くなった2日後に逮捕されました。
逃走した理由が、女の子も彼も無事そうだったのでついつい逃げたそうです。私はこれを聞いて
言いようのない怒りが体を走るのを感じました。  
彼は次の年に、プロの山岳写真家を目指してネパールに渡る予定でした。 

彼は小さな頃から、教会に預けられて育ってきたため教会に遺体を運びそこでお葬式を行い
ました、彼の棺には彼が生涯使っていたカメラとフィルム100本をいれました。火葬されている
間に、彼の父代わりであった教会の神父様から衝撃的な事を聞きました、「○○はね、ネパール
に行く前に、あなたに結婚を申し込もうとしていたんです。そして、ネパールから帰ってきたら
あなたと結婚するつもりだったんです。つい、4日前にその相談をしてあげたんです」、私は嬉しさ
と悲しさでただ泣くだけでした。
 
もう、こんな思いはしたくありません。交通事故だけは絶対に嫌です。
私は、自分の最後の力を振り絞って女の子を助けた彼を一生尊敬して生きていきたいと思います。